我が国の教師たちにとって「語りと探究」はどのような営みとして位置づいているか
日曜日だけれども,我が研究室で,2月に1回開催している,カリキュラム研究会を開催した。先日も別の記事で紹介した著書,Wiles J.(2009)Leading Curriculum Development. Corwin Press.CA.の第2~4章の輪読だ。その内容を確認しながら,カリキュラム・リーダシップの本質である「語りと探究」が,我が国の今日の教師たちにとって,どのような営みとして位置づくかについて,議論を繰り広げた。それは授業研究の基本精神とも言えるので,教師が手慣れたものであると考えうるか,それとも,語りや探究のパートナーが地域住民や保護者に広がっているので,彼らは,それをむしろ不慣れな,それゆえ背を向けたくなるものと考えるのか--。経験的には,学校や地域によって,この概念のとらえ方に違いがあり,その格差が大きくなっているという状況にあるように思えるが--。
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